2024.01.23
赤座憲久 文 北島新平 絵 篠崎書林 2005年
赤座憲久さんは岐阜県出身の児童文学者。県内の小学校や盲学校で教員として勤めた後、短大教授に。
『目の見えぬ子ら』で毎日出版文化賞を受賞するなど、数々の受賞歴があります。目の見えない人、原爆、沖縄などを主題とした作品が多くあります。
この作品は、沖縄に初めて盲学校をつくった高橋福治さんのことを調べるために那覇市に向かった折に聞いたお話がもとになっているそうです。
マツさんは空襲で夫を亡くした。そして、むすこの昭夫は激しい戦いのあったマブニのガマの中で自決したとの知らせが届いた。
翌日、マツさんはマブニの陣地だったところに出かけ、ガマを探しあてた。
ガマの中には、水筒や鉄かぶとに混じって、白い骨がそこここに散らばっている。
「昭—!アンマーが、むかえにきたよう!」
マツさんはひとところに骨をよせあつめ、幼い頃にうたってやった歌を口ずさんだ。
日の暮れるまで探したが、昭夫の骨には出あえなかった。
マツさんはマブニの近くに家を借り、毎日通った。
ひとところに骨を寄せあつめては、「慰霊」と書いた小さな棒を立てた。
ひとつき通っても、昭夫の骨には出あえなかった。
小学4年のとき、鉄棒から落ちて前歯にヒビが入り、ヒビはいつのまにか黒いスジに見えるようになった。ムシ歯でどうにもならなくなった中学1年のとき、前から左へ6番目の歯を抜いた。あかんぼのとき、おっぱいを飲んだ上あごや下あごの形は大人になっても変わらない。
昭夫の骨を探すうちに、骨になった兵士も市民も、マツさんに話しかけるようになった。
「どうでもいい人の骨なんて、あってたまりますか。」マツさんは思った。
マツさんの骨探しは10年を過ぎ、さらに1年がすぎようとしていたとき、忘れもしない形をした頭の骨が動いた。前歯にヒビ。6番目の歯がない。
「おいつめられたら死ね、死ぬのがほまれと、みんなおしえた。このアンマーも。ヌチドウタカラと、おしえなかった。ゆるしておくれ、ゆるしておくれ。」
「戦争はこりごり。もう戦争はしないよ。日本はどこの国とも戦争しないことに、みんなできめたよ。あんしんしておくれ。ヌチドウタカラ(命こそ宝)。」